2014年1月23日木曜日

イリハム・トフティ:私の理想と選んだ道(4・完)



四、

 「ウイグルオンライン」は私が創設したウェブサイトである。その目標は全国の各民族人民と世界に新疆とウイグル人を知ってもらい、新疆の各民族人民に世界を知らせ、民族間の相互理解と対話を促進することである。管理の面では、いかなる独立、分離および無責任な扇動的言論の発表も禁止し、国家を転覆する言論の発表を禁止している。

 ウイグルオンラインの創設は、私がインターネットと検索サイトを見て、ウイグル人に対する憎悪を煽り、ウイグル人を攻撃する言論が大量に存在することを発見し、ウイグル人と漢人との溝が非常に深く、意思疎通と対話の場がないと感じたからである。漢人とウイグル人のネット民は互いに別々に不満を発散しているが、面と向かって議論し、真剣に相手の声を聴く機会がない。

 また、中国ではウイグル人について議論することが多いが、ウイグル人社会について基本的な常識を持っている人は少ない。これは多民族国家としてあるまじき状態である。他の人がやらないんだったら私がその空白を埋めようと思った。

 管理の面では、ウイグルオンラインはいかなる独立、分離および無責任な扇動的言論の発表も禁止し、国家の転覆を煽る言論の発表を禁止している。しかし新疆や他の地方の社会の時弊を批判する文章は善意から発し内容が真実ならば禁止しない。

 事前の私の予想通り、時々漢人の「怒れる若者」とウイグル人の「怒れる若者」が掲示板の上で激しくやりあうが、相違と対立は怖くない、怖いのは交流の機会が経たれることであり、交流があればいつかは共通認識が得られると、私は考えている。実際、少なからぬ漢人ネット民が以前私の言論が過激だとか偏っていると非難したが、彼らの中の多くの人から私の意見には賛成できないが、私の動機と善意は理解すると言って尊重するようになった。

 ウイグルオンラインは交流と意見表明のプラットフォームであるだけでなく、公益事業のプラットフォームでもある。近年、犯罪者に誘拐されたウイグル人の児童が内地でスリを働く社会問題が深刻化している。それは現地の人の安全感が脅かされるだけでなく、ウイグル人全体の民族のイメージを大きく傷つけていた。しかし、この誰もが知っており、日常生活における注目度の極めて高い問題が、その敏感さゆえにどのメディアも報道せず、どの組織・機関も体系的にこの問題の解決を図ろうとしなかった。それがどの民族であろうと、全ての子供が国の宝、社会の未来である。

 そのため、私はウイグルオンラインにウイグル人ストリートチルドレン救援プラットフォームを開設し、各地の民間の反スリ組織と積極的に連絡を取り、ストリートチルドレンに救助と法律援助を提供した。同時に『鳳凰週刊』にこの問題を報道するよう働きかけ、それによって新疆自治区政府はストリートチルドレン救助を課題として取り上げさせるという積極的成果を上げた。〔この鳳凰週刊の記事の翻訳は その(1) その(2) を参照〕

 また、私はウイグルオンラインをウイグル人社会の意見に影響を与えるツールにもしている。今日のウイグル人社会においては、当局の正統で堅苦しい官製メディアしか存在せず、ウイグル人社会が直面する本当の問題を取り上げ、同時に理性的、穏健的、建設的でもあるメディアは全く存在しない。一方で海外には扇動的言論で社会問題を「直視」するメディアに事欠かない。民族対立激化の危険に直面し、民族問題を討論するとき見解が極論に陥りやすいという新疆の環境〔それは当局の議論を禁ずる言論統制によって作り出された環境である〕の下で、我々の理性的で健康な声によって極論メディアから見解の市場を奪い返し、社会感情を良い方向に発展させることが、最も重要な任務・使命の一つだと私は思っている。

 ウイグルオンラインの独立性とウイグル人社会に類似のウェブサイトが無いことから、絶え間ない議論を通じて、ますます多くの人がその社会的機能と効果を認めるようになり、サイトの知名度と影響力も高まっている。ウイグルオンライン創設過程で、私は非常に大きな圧力を受け、サイトはたびたび強制閉鎖やハッカー攻撃を受け、私もたびたび当局の事情聴取を受けた。まさに他に類似のサイトが無いゆえに、私はウイグルオンラインはかけがえのないものであり、私は正しい仕事をしていると確信している。

結語

 ウイグル人知識人の一人として、私は自然に自分の民族に強い感情を抱いている。とりわけ歴史と環境を原因とするその発展の遅れ、その困窮は、私をいつも不安にさせる。私は自分の国に対しても、同様に強い感情を抱いている。とりわけ私が数十か国を旅行して実感したのは、強いナショナル・アイデンティティーが私の血の中に流れていることだった。わが民族であれ、わが国であれ、その苦しみ、その栄誉は、すなわち私の苦しみであり、私の栄誉である。

 今日の新疆、およびその他の地方において、民族問題は特殊な時代におけるこれまでにない特殊な試練にさらされている。私は感情の面でも、理性の面でも、中国のどの部分であれ分離することは受け入れられない。民族問題において、私は民族の自然融合に反対しない。なぜなら、それは社会の自然法則であり、歴史を振り返れば、漢民族もウイグル民族もどちらも多くの民族的源流の融合の産物だからである。しかし、私は人為的に手配され、計画された民族融合には反対する。本質的に行政的に行われる民族融合は、強制によって分裂をもたらすからだ。寛容に多元化を奨励することこそ、諸民族の融合を促す絆である。

 民族問題の解決は、民族自治の道の方向に着目し、中国を多民族多元文化の、強い魅力をもつ国にすることによってしか成し遂げられない。

 今日の中国の統治の視点から見れば、多民族多元文化の現状は社会転換期の問題と困難の複雑性を増すことであるが、文化と想像力の視点からは、その中のどの民族も計り知れない共同の財産である。通時的に中国の歴史を見ても、また共時的に今日の世界を見ても、文化の多元性と包容性のある国ほど、強大で豊かな創造力を持っている。

 そして、恣意的に自らの文化の独自性と優越性を強調し、統一意識もしくは排他意識の固定化を図るのは、閉鎖的部族社会の発想であり、必然的に恣意的に強調され保護された文化の内在的生命力を枯死させる。

 中国の憲法の中には民族自治の規定があり、それは諸民族の多元文化の共存と発展に良好な枠組みを提供しているが、実践のレベルではまだ探求が必要であり、法令によって具体化していかなければならない。我々は大胆に外国の各種の成功経験の中から法則を学び、中国に適した方法を編み出していくべきである。

 未来に向き合う知恵と心、現実を直視する勇気さえあれば、中国は必ずや中国の歴史を尊重し、中国の国家体制に適合し、国家の統一と民族自治との間の理想的なバランスを取った民族自治の道を見つけ出すことができると私は確信している。

 私はここ何年も新疆に行くことを禁止されているが、私が目撃した中国のここ数十年の深くかつ巨大な進歩と変化はここで止まってしまうことはないと確信している。私の努力と探求がこの国の進歩の一部になり、それを私が誇りに思う日が来ることを私は確信している。

イリハム・トフティ

2011117

〔 〕内は訳注

転載自由・要出典明記

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