2014年1月21日火曜日

イリハム・トフティ:私の理想と選んだ道(2)



二、
 私は新疆問題と中央アジアの社会経済および地政学の研究する学者である。今日私を政治的人物と描写したり、そうなることを希望する人が後を絶たないが、私は一人の学者であることを堅持するし、政治化されることを望まない。学者以外に私が唯一望む肩書は、民族間の交流と意思疎通を促進する使者ないし架け橋である。

 1994年から、新疆地方政府の誤った政策に対する批判をたびたび直言してきたことなどが理由で、私の教育業務は妨害を受け続け、1999年からは論文発表の機会を奪われ、1999年から2003年の間私は講義することを禁じられた。

 近年、私がますます新疆問題に関する研究と調査に打ち込み、また漢語のウェブサイト「ウイグルオンライン」を開設したことで、私個人の仕事や生活に対する圧力が強まっただけでなく、私の新疆にいる親戚や家族に対する圧力も強まっている。彼らはしばしば私に対し、発言を控え、余計なことに首を突っ込まず、金もうけに専念するよう懇願してくる。しかし同時に私は、新疆問題がますます深刻化し、民間の憎悪が激化していることも目撃している。

 私は、わが民族の中には私のように良い教育を受け、視野を広げ、豊富なキャリアを積んでいる人が少ないことを知っている。我が国には私のように新疆問題と中央アジア問題について天然の優位性を持っている人は少ない。この分野で正しい知識を持ち、責任感のある誠実な学者は極めて少ない。そして中国社会が将来直面するであろう試練は極めて厳しい。だからこそ、圧力に抗して引き続き最も価値があると私自身が考える仕事に打ち込むことは、私にとって必ず果たさなければならない責任である。

だが、社会的責任の求めと、家族を禍に巻き込むことの矛盾は私は苦めている。

 七五事件〔2009年のウルムチ民族衝突事件〕の民族的悲劇が発生してから、新疆問題は一気に世界が注目する焦点となり、私も各方面から注目される話題の人になり、不可避的に政治的人物として扱われるようになった。私は誰であれ、どんな組織であれ新疆問題に関心を寄せることを拒絶しないが、各種の勢力が私を政治的シンボルにしようとする動きについては、たとえそれが善意に出たものであっても拒否する。

 思うに、私には純粋な学者、混じりけのない学者が務まるにすぎず、余暇に普通の人にサポートを提供し、社会に対し能力に応じた公益活動を行うことこそが、わが民族、我が国にとって有益だと思う。

 このような確信に基づき、私は七五事件後に外からの圧力により、経済的に苦しくなった時も、国外団体の援助は、外交機関であれNGO組織であれ、一銭も受け取らなかった。さらには、私は中央アジアと欧米の政界と経済界に太い人脈があるので、彼らとビジネスをすることはできるが、純粋なビジネス上の取引においても外国に関係する金銭は一切受け取ろうと思わない。もし私が漢人なら、そういうお金を受け取っても全く問題ないだろうが、私のように疑いの目を向けられている国民は自分をより厳しく律しなければならず、漢人知識人が想像もできないような圧力と試練に耐えなければならないのだ。

 長い間、民族問題が敏感な問題であり続けているため、社会のレベルで漢人とウイグル人の間には隔たりがあり、漢人知識人とウイグル人知識人の間にさえも正常な交流が欠けている。隔たりと猜疑心が、深刻化し続ける民族問題について、最低限の公開の議論すらできなくさせているということは、極めて異常で恐ろしい雰囲気である。

 それゆえ、私は2005年末に「ウイグルオンライン」を開設し、ウイグル人と漢人が共に討論と交流を行うプラットフォームを作った。そこで行われる交流はもちろん激烈なぶつかり合いの交流であるが、怖いのは争いと意見対立ではなく、本当に怖いのは沈黙の下での猜疑心と憎悪だと私は考えている。

 新疆問題について漢人知識人の幅広い関心を喚起し、彼らに貴重な見解と経験を提供してもらうために、「ウイグルオンライン」創設後、私は漢人知識人との交流に努力し、併せてウイグル人の文化と社会知識の紹介に努めてきた。

 七五事件の悲劇とその後の新疆での民族間の関係は、私に民族的憎悪と猜疑心が蓄積し続けることの恐ろしさを見せつけた。憎悪と猜疑心の硬い氷を解かすために、私は民間で「民族和解の日」の活動を呼びかけた。それは悲劇の75日を記念日とし、夏休みを利用して二つの民族の家庭が相互に自分の子供を相手の民族の家庭で生活させ、将来世代の中に民族間の親しみと友情を深めるとともに、異文化を理解し尊重する包容意識を育てることを目指した。この構想は様々な外部の妨害により実施には移せなかった。

 理性、忍耐、寛容、穏健、歴史尊重、現実尊重、未来志向の態度で民族共存の道を探求すべきである。私が受けた教育と訓練によって生まれた理性的認識、そしてたゆまぬ実践の過程で、このような態度が徐々に私の自然な感情になった。

 一人の大学教員として、私は自分の視点、願望そして方法論を学生に伝えたいという強い願望を持っている。私ほど真剣に毎回の講義と教材を準備し、毎週土曜日に無償で学生に新疆問題の公開講義を行い続けるような教師はまれである。

 私はより多くのウイグル人学生が社会学、法学、経済学、政治学、人類学などの専門分野の学習に励み、彼らの職業選択の上でより多く個人の成果と民族と国の文明の進歩を結び付けることを勧める。なぜなら、これらの専攻は、人々に体系的な方法論を与えるだけでなく、彼らの自民族に対する単純素朴で強烈な熱情を、奔放で感性的なエネルギーを、理性的、科学的な態度に変換するからである。こうした訓練と観念の養成は、ウイグル人にとって極めて不足していて貴重であるだけでなく、今日の中国全体においても極めて不足しているからである。

〔 〕内は訳注

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