2014年1月20日月曜日

イリハム・トフティ:私の理想と選んだ道(1)



訳注:原文は2011年1月17日に書かれた。中国国内ではVPNを経由しないと閲覧できない。
  
一、私の成長過程と人生の理想

 私は1969年に新疆のクズルス州アトシュ県政府所在鎮〔現アトシュ市〕のウイグル人家庭に生まれ、ウイグル人と漢人が混住する政府職員宿舎で育った。私の祖父の世代は文盲で、父は新中国〔共産中国のこと〕が養成した第一世代の本当の少数民族知識人だった。1950年代末、父は中学校を卒業すると内地に送られて大学で勉強した。中央民族学院、北京師範大学、蘭州鉄道学院で続けて学び、卒業後は南新疆軍区と地方政府で勤務した。1971年、父が28歳の時文革中に非業の死を遂げた。当時私は2歳、弟はまだ11か月だった。アトシュで自動車修理工をしていた母が一人で私たち兄弟4人を育て上げた。父の当時の同級生は今日では多くが自治区の高級幹部なっている。父は私の自慢だが、父がいったいどんな人だったのか、どのように死んだのかは、上の世代が昔のことを語りたがらず、また当時の複雑な政治が分からないので、私は全く知らない。

 1980年、私の長兄は15歳の時に軍に志願し、まもなく地方政府に転入した。その間、上海、ウルムチ、大連、北京などの地の大学で学業を修め、アトシュ市共青団委員会幹部、書記、クズルス州組織部幹部科科長、クズルス州(クズルス・クルグズ自治州)共青団委員会書記、州機関事務管理局局長、州民政局局長を歴任し、現在はクズルス州交通局共産党委員会書記、州政治協商会議委員である。私の次兄は早くから警察組織で仕事をし、かつて最年少で刑事犯罪捜査大隊長になり、現在はクズルス公安局の共産党規律検査委員会書記、共産党委員会委員をしている。次兄の妻と長兄と次兄の子供も、警察組織で仕事をしている。ある意味で、私の家族は警察一家ということもできる。しかし、近年彼らは私に連座して大いに不利益を被っている。

 1985年、私は16歳で故郷を離れて内地に進学し、中央民族大学(予科)、東北師範大学地理学部(学士課程)、中央民族大学経済研究所(修士課程)で学んだ。学業の上で、私は施政一、陳才、張克武の各教授の影響を受けた。私は一人のウイグル人青年である私に対する彼らの教導を忘れることはできない。彼らの新疆、そしてウイグル社会に対する心からの関心、学術に対する誠実な態度を一生忘れられない。

 1991年、私は大学卒業後中央民族大学で仕事を始めた、当初学部共青団委員会書記を務め、のちに1994年に中央民族大学の経済研究所に異動し、開発経済学、国外経済学を学び、新疆経済を教えた。1996年には自費で韓国に留学し、2001年に中国とパキスタン政府の文化交流事業でパキスタン国家発展研究院に交換派遣され「新疆周辺安全環境と経済発展」問題の研究を行った。2003年に中央民族大学経済学院国際貿易学部に異動し「国際貿易実務」、「国際決済と信用」、「新疆人口、資源と環境の持続可能な発展戦略研究」、「中央アジア政治、経済社会と文化」などのコースを教えてきた。

 1994年ごろから、私は新疆の経済と社会の問題に強い興味を持ち、『光明日報』、『経済参考報』、『西部発展報』などに新疆問題に関する文章を発表したほか、『中央民族大学学報』、『民族教育研究』、『新疆社会科学論壇』、『民族経済』、『カシュガル師範学院学報』などの学術雑誌に20数篇の論文を発表した。早くも1994年に、私は南新疆のカシュガルに経済特区を建設する構想を発表している。専門研究においてより広い視野を持てるように、私は英語のほかに私は韓国語、日本語、ウルドゥー語、ロシア語を自習し、それらの言語で簡単な日常会話と情報取得ができるようになった。

 仕事についてから、私は以前余暇にビジネスを行い、株式市場や合弁工場建設などの事業で少なからぬ収穫があった。教育の仕事が制限を受けるようになってから、友達から完全にビジネスマンに仕事を変えた方がいいと助言されたことがあった。しかし、中央アジア、ロシア、南アジアを広く見て回った際、私は多くの民族対立と殺戮、政情不安、社会転換の失敗などの生々しい事例を目撃した。こうした見聞が、徐々に私に全ての精力を注いで新疆問題、中央アジア問題を研究することを通じて国外の悲劇の中国での再現を回避させたいという願いを強めさせていった。

 そのために、私は自費で大量の社会調査を行い、系統的に社会学、民族学、地政学を学び、経済学の視点以外により幅広い視点と分析ツールを得た。旧ソ連、東欧などの失敗事例を研究しただけでなく、欧米先進国の民族問題と社会問題解決の成功事例も真剣に研究し、中国社会の探求実践に対しより豊富な参考を提供しようと努めてきた。

 私は苦労して私を育てた母を深く愛し、依然として貧しさに苦しむわが民族を深く愛し、私を育てたこの国土を深く愛している。私は私の故郷が内地と同じように豊かに発展することを心から願い、私の故郷、私の国が動乱と分離に陥ることを憂慮している。私はこの多難な国が多民族共存の、輝かしい文明を創造する偉大な国であることを願っている。私は新疆の社会、経済と文化の発展の研究に尽力し、民族間の交流と意思疎通に尽力し、現代の社会転換の中で民族共存の道を探求することに尽力することを、理想と人生の奮闘目標にしていく。私のこの進路選択は、私の出身環境に由来し、母の教えに由来し、私が受けた教育と成長過程に由来している。

〔 〕内は訳注

転載自由・要出典明記

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